幻の米 雄町米
雄町米は、山田錦とならび称される酒米としてたいへん有名で、普通のイネに比べて、高く少ない茎に長くて重たそうな穂がずっしりと垂れ下がって、肥料をやりすぎると風が吹かなくても倒れてしまうし、普通でも株は支えてやらないと倒れてしまうと、作り方がたいへん難しいことから、生産量は昭和14年の作付面積3312haから、昭和50年の6haまで減少の一途をたどっていました。このことにより幻の米と呼ばれるようになりましたが、現在は、再び見直され 作付面積が増えつつあり平成29年545ha、平成30年580ha、令和元年600ha、令和5年680haと作付面積が増えています。岡山県北の辻本店では、全ての仕込みを雄町で!と頑張ってるようです。

酒造好適米の「祖先」
雄町米は交配のない日本古来の原生種とされています。また、酒造好適米としての優秀性から各地で交配種として使用され、現在最上とされる酒造米の山田錦(大正に兵庫県農業試験場で「山田穂」を母、「短桿渡船:雄町の血を受け継いでいる品種」を父の交配でできたもの)や酒造好適米の五百万石等の、優良品種を作り出した。
現在では、50弱の酒造好適米がある。その中、約30品種に「雄町」の血が受け継がれていると言われています。「雄町」の原種が「渡船」だという謎めいた説もあります。
雄町米の歴史

備前国上道郡雄町村の篤農家岸本甚造(きしもとじんぞう)が、安政6年(1859)頃に伯耆大山へ参拝した帰りに見つけた2本の穂を持ち帰り、選抜を重ねて、慶応2年(1866)に育成したものといわれています。当時は二本草と名付けられていましたが、酒米として評判が高まり、いつのまにかその土地の名をとって、雄町米と呼ばれるようになったといわれています。
百年以上も前に発見され、現在も栽培されているのは「雄町」だけです。それだけ酒米としての評価が高く、多くの杜氏に支持されています。
当時二本草と名付けられた雄町米が見つけられたのは鳥取県の大山(伯耆富士)参拝の帰り。鳥取県の大山町には、「強力」という雄町米とよく似た酒米があり、もしかしたら雄町米のルーツなのか?伯耆の国が同じキーワードです。
酒造好適米
雄町米は、大粒で心白が大きく酒造りにはぴったりの品種です。大粒種で、粒の中心部には麹が入りやすい心白が有り、酒米としてすぐれているといわれています。
昭和初期には「品評会で上位入賞するには雄町米で醸した吟醸酒でなければ不可能とまで言われたお米です。 優点 酒造好適米(日本で最も高価な米の一つ)、雄町米でできた酒は、独特のやさしさとまろやかさがある。
